さようなら〜〜〜〜
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3月29日(月)晴れ
行っちゃった〜〜。
ばば30年以上前からの友人、Kちゃんが40年間の教員生活を無事勤め上げ退職、
今夕の上り船で帰っちゃった〜〜。
彼女が徳之島へ赴任して、もう、5年が過ぎた。
生活根拠地以外での退職となったKちゃんだが
40年間、よく頑張ったね〜。
ばばは、「中途退学」だったけど、Kちゃんは立派に「卒業」した。
頑張ったね、えらかったよ、パチパチパチ(拍手)。
このKちゃんとの最初の出会いは、ばばがじじと結婚して、すぐ赴任した
加計呂麻の職場で、彼女は当地の出身でご両親と一緒に暮らしていた。
当時、彼女は独身でいろいろな話をした。
仕事が終わると、まず、ばば宅へ寄り、おしゃべりをしながらお茶を飲んだ。
「ばばちゃんの、卵焼きとおかきが美味しかった」と数十年経っても言ってくれる。
我が家の長女、次女をよく可愛がってくれた。
また、お産で奥様が里帰りした同僚におかずを作って
10日ほど一緒に届けたりもした。
たまには恋愛談義をしたり、他愛もない話をしてはたくさんの時間を共有した。
また、ある時は、散歩がてら山道を歩きツワブキや野草を収穫したりもした。
ばばが、数十年経っても、まだ、自責の念に駆られることがある。
それは、一緒に散歩に行った時、畑の周りのツワブキをたくさん収穫して
ホクホク帰宅したが、後日、そのツワブキは農家の方が
自家用に収穫するため植えてあったと言うことが分かった。
悔やんでもみても、後の祭り。
地元出身のKちゃんが、うまく謝ってくれたと思うけど、
思い出すたびに今でも身の竦む思いがする。
若かったねぇ〜〜、Kちゃんも、ばばも。
3年間一緒に仕事をし、転勤で彼女は加計呂麻を離れ、数年後に結婚した。
そして、ばば達はKちゃんが転勤して行った1年後に徳之島に帰った。
それからは海を隔てて、年賀状だけのおつきあいで空気のような存在だったが
5年前、Kちゃのが徳之島赴任が決まり、ビックリもしたが、それ以上に嬉しかった。
家もばばの近所だったのに、5年間のうち、
一緒に食事をしたりお茶を飲んだりしたのは数えるくらいしかないが
Kちゃんは長期休暇などで帰省するたびにお魚や野菜など届けてくれた。
いつも、お世話になりっぱなしだったね。
Kちゃんは「ばばちゃんが近くにいると思うだけで心強かった」と言ってくれたけれど、
ばばは、心苦しい。。。。。
去年のある日、突然「無人市場巡りしない?」とKちゃんからの電話。
職場で色々あったり、モヤモヤした時、彼女は車で無人市場巡りをして
気分転換をしていると言った。
Kちゃんとばばと姉の3人でおやつを持ってドライブがてら
無人市場巡り。
走りに走って、全島半周くらいして、海へ行き
遙か彼方の海を眺めながらいろいろなおしゃべりをして時間を過ごした。
それが一緒に行動した、最後となった。
その後は、Kちゃんの仕事が忙しく、なかなかゆっくり会うことは出来なかった。
そして・・・退職・・・・・
健康面、家族のこと、いろいろなことで悩みはあっただろうけど
Kちゃんは、いつも明るく振る舞って、ばばに元気をくれた。
Kちゃんは、半単身赴任のような生活だったので、
これからはご主人とたくさんお時間を共有して欲しい。
また、加計呂麻でお一人暮らすお母様孝行をうんとして欲しい。
今日の、上り船は定刻4時45分入港。
kちゃんが勤めた職場の同僚・保護者・子供達がたくさん見送りに来てくれていて
「お別れの式」をした。
校歌を歌ったりして、万歳三唱で送り出した。
船上の人となったKちゃんとご主人。
五色のテープが舞う中、いつまでも甲板で手を振っていた。
Kちゃんが目頭を押さえている。
ばばは、両手を頭上で大きく振った。
Kちゃんはハンカチをクルクル振りながら何度も頭を下げた。
船はゆっく動き出し、岸壁を離れた。
ばば達は船の後を追って走った。
毎年繰り返される、島の別れ。。。。。。。。。
Kちゃんの中で、徳之島は良い意味で「忘れえぬ地」となってくれただろうか?
今夜9時過ぎには、自宅に着くことだろう。
ゆっくり、手足を伸ばしてお休み〜〜〜Kちゃん。
これから、なかなか直接会うことはないだろうけど
電話も、メールもあるし、Kちゃんのこと決して忘れないからね〜。
明日から、新しい生活の始まり。
お体に気を付けて、いつまでもお元気でね〜。