6月30日(火)晴れ
「時間よ止まれ!」と叫びたいくらい
一日、一ヶ月の過ぎるのが早いこと!
もう一年の半分が終わってしまう。。。。
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何回かブログに書いているが、ばばが子どもの頃は
方言オンリーの生活だった。
それが、幼稚園生になった途端
担任の先生方は「標準語なる言葉」を話すのでびっくりした。
休み時間、友達とは方言で喋っていたと思うが
小学生になると「方言禁止令」なるものがあり
ばば達は「島口標準語」なる言葉を話した。
要するに方言と標準語がチャンポンになった言葉だ。
方言を使っているのを見つかると「私は方言をつかいました」
と書かれた札を首から下げさせられるので、
ばば達は知っている言葉は標準語、知らない言葉は方言で話していたのだ。
両親のことも父のことは「アジャ」、母のことを「アマ」と言っていたが
学校で「お父さん・お母さんと言いましょう」と先生に言われ
早速家に帰って「お父さん」「お母さん」と呼んだ日は
何だか照れくさくて、とても気恥ずかしい思いだったが以来ずっと
「お父さん・お母さんで通した。
標準語をつかうと、何だか都会の子になったような・・・・
・・・こともなかったかな?
小学校・中学校と「方言禁止令」の中で育ったが
家に帰って、家族や友達と話す時は専ら島口=方言だった。
高校から島を出たばば。
それ以後「徳之島方言」をつかうのは帰省した時しかなかった。
そうこうしているうちに、子どもたちは、方言よりも標準語をつかうようになっていった。
大人も、ある年代以降の方は方言を使わなくなってしまい
「島の言葉=方言」は、どんどん廃れていった。
その時になって、「島の言葉を大事にしましょう」「もっとつかいましょう」と
町をあげて「島口大会」などするようになったけれど、
方言には微妙なイントネーションがあり
発音は出来ても表記できない言葉もあり
昔ながらの方言を話せる子はどんどんどんどん減っていった。
だから、大会での発表を聞いても、ばばは「こんな言い方じゃないんだけど」と
内心ヤキモキする。
「時すでに遅し!」
ばばは、島口は一応つかえると自負していたが
退職してから、たくさんの単語を忘れてしまっていることに気づきびっくりした。
ばばの、今は亡き兄は学生時代から島の方言を調査していて、
徳之島三町の各集落ごとの言葉の違いや発音・色々な物の名前などを
その集落の古老や研究している人にも聞き取りまとめていた。
物の名前など方言で何と言うのか分からなくなった時、
(兄がいたらな・・・・)と思う。
毎日の散歩の折、生き物や植物を見つけてじじ&姉&ばば三人で
その名前を方言ではなんて言うのか議論?することがよくある。
オタマジャクシ・トンボ・蜘蛛・ヤモリ等々、数ヶ月、長いもので半年かかって
やっと方言名が分かった時には小躍りして喜んだ。
先日、雨後に歩いていて舗装された農道を
アメンボがぴょんぴょん跳ぶように歩いていた。
それを見たじじが、アメンボを方言で何というかと、ばばに聞いた。
ばばは、「アメンボはアメンボ」としか言ってなかったと主張した。
母に聞いても分からない。
大瀬川でウナギ釣りをしていた何処かのじいちゃんに聞いても分からない。
分からないとなるとますます知りたくなるばば。
昨日、実家集落で知り合いのお姉さん二人にも聞いてみた。
すると、二人とも声を揃えて「コータックヮー」と即答した。
初めて聞く言葉だ。
「じゃ、ミズスマシはなんて言うんですか?」と聞くと
「ミズスマシってなんね。」とY姉さん。
「ホラ小指の先くらいの大きさで水の上をくるくる回るように泳ぐ
小さな亀みたいな虫よ」とばば。
すると、Y姉さん「それはね、カメと言うよ」と即答?
「エ〜〜ッ、それはないでしょう」とばばが反論。
もう一人のお姉さんは「アメンボ!」と答えたので
「さっき、アメンボのことを方言で『コータックヮー』
って言うって言ったでしょう」と言うと「あっ、そうか〜」と爆笑。
大難問だったアメンボの方言名は分かったけど、
今度は「ミズスマシ」の方言名が分からない。
「一難去って又一難」じゃないけど、またまたしばらく落ち着かない日が続きそうだ。