小牧・長久手の戦い[前編] 

【合戦解説】羽柴 vs 織田・徳川 ? 織田家当主 織田信雄は秀吉の勝手な振る舞いを諌めるべく 隣国の徳川家康を頼り挙兵へと向かっていく ?
829,777 回視聴 2021/06/13 時は安土桃山時代


天正11年(1583)4月
織田家を二分する合戦となった「賎ヶ岳の戦い」に勝利した羽柴秀吉は、撤退する敵将 柴田勝家を「北ノ庄城の戦い」にて討ち果たし、その報せを聞いた越中の佐々成政や美濃の織田信孝は次々に降伏
最後まで抵抗を続けた北伊勢の滝川一益も7月には降伏し、織田家内の抵抗勢力 排除に成功する
秀吉は即座に領土変えを決行。柴田派が治めていた北陸には、越前に丹羽長秀を、能登の前田利家には加賀を加増し、残党処理を任せる。織田信孝の美濃には摂津の池田恒興を入れさせ、空いた摂津は秀吉が手に入れた。そして 滝川一益の去った北伊勢や伊賀は織田家当主 織田信雄の領土となり、信雄の一生の中で最大の石高になった時でもあった。
しかし、信雄は 安土城から大坂城に織田家の居城を移す動きや、許可無く朝廷献金や公家との折衝、織田家の方針を次々に決めていくなど、勝手なふるまいを続ける秀吉を見て、徐々に自分がお飾りの当主であり、利用されたのだと気付き始める。そして信雄は誰も想定していない動きに出るのであった。

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